人気ブログランキング | 話題のタグを見る
2004年 11月 18日
スクールバス
この数日僕は、夜明け前に家を出て会社に向かっている。妻を起こさないように、そっとベッドから出て、身支度を整えて、静かにキッチンで朝食をとって、そして音をたてないように玄関の扉を閉める。彼女も少しは気にかけて、一緒に起きて朝食の準備をしようとも言ってくれたけれど、コーヒーは一人でもいれられるし、シリアルにミルクをかければ、それで十分なので、僕のためにわざわざ起きなくていい、と言った。

最近あまり妻とも話をしていない。彼女も仕事で責任のあるポジションにいて、帰宅も遅いし、家に帰っても持ち帰った仕事の続きで、すぐにコンピュータに向かうことが多い。僕は僕で好きな音楽を聞きながら、好きな本を読んでいたりで、彼女と話をしなくても、それほど不自然には思わなくなっていた。時々僕たちはどうして夫婦なのだろうという疑問が頭をよぎることもあったけれど、そんなことは誰もがどこかで感じることなのかも知れないと、それ以上を突き詰めて考えることもしなくなった。そんな訳で、夏前に引っ越した僕たちの郊外の新しい家も、いつもとても静かだった。

車のキーを回し、イグニションの音を聞きながら、僕はこの数日のことを考えていた。

5日ほど前、懐かしいクラスメートが電話をよこした。それは、僕たちが小学校3年生の時に、僕が住んでいたエリアを担当していたスクールバスの運転手のジェドが死んだという知らせだった。故郷を遠く離れていた僕には、2週間前に亡くなった彼の葬式のニュースも届かず、結局、ジェドのために何をすることもできなかった。

自分でも驚いたのはその翌朝のことだ。会社に向かう車の中で、朝も7時を過ぎれば当たり前に走っているスクールバスを目にする度に、とめどなく涙があふれてきて、運転することもままならなくなってしまった。なぜそんなに涙が出るのかわからず、しかたなく路肩に車を寄せ、僕は涙が流れるにまかせていた。黄色いスクールバスを見る度に、胸が締め付けられた。自分の父親が死んだときには一滴の涙もこぼれなかったのに、皮肉で不思議で仕方がなかった。僕は、しばらくスクールバスが走る時間に運転することはできないと思った。でも大きなプロジェクトで夢中だった僕は、その理由を深く考えることを敢えてせず、ただスクールバスが走る時間を避けて通勤することだけを選んで、この数日を過ごしてきた。その朝、少しかすれた音をたてたイグニションが、ジェドがスタートさせたスクールバスのエンジンの音を唐突に僕に思い出させたのだった。

ジェドは太った黒人のドライバーで、9歳の僕は彼を父親のように慕っていた。当時、僕の家は学校から一番遠い郊外にあって、朝スクールバスに乗り込むのは一番最初で、そして帰りに降りるのは一番最後だった。どちらかといえば裕福な家庭で、家はとても静かな緑の多い地域にあったけれど、近所に遊びに行ける友人もいなかったし、僕自身、余り積極的に友達と打ち解けることができる方でもなく、学校からの往復のバスの中でも、僕は賑やかな子供たちの隅の方で、いつも静かに座って外ばかり眺めていた。

ある夕、他の生徒がみんなバスを降りた後、ジェドはバスを近所の公園の駐車場に入れて僕を運転席の横の席に呼んで、そして少しずつ話を始めた。その時、彼と初めてきちんと自己紹介を交わしたのだけれど、僕はうつむいてばかりで、彼が一人で話していたような気がする。朝食は誰と一緒に食べるのとか、帰った後はどんな風に過ごすのとか、ジェドはいろんな質問をしたけれど、最初の頃はうまくジェドに答えることもできなかった。僕たちはただ、ジェドが運転席に置いていた少しぬるくなったコークを分け合って飲んで、10分くらいの時間を過ごした。そしてジェドは僕の迎えが来る通りの角で、いつも通り僕を下ろしてくれた。

迎えに来るのは普通は母親なのだろうけれど、僕には当時シッターがいて、その人が毎日迎えに出てくれた。母親は仕事を持っていて、夕食も僕はシッターの女性と二人で食べることが多かった。最初にジェドと話した日、ジェドはシッターの女性に何やら遅くなった言い訳をしていたけれど、そのうちその10分は恒例になって、彼女もその時間に合わせて迎えに来るようになっていった。

学校ではほとんど誰とも話さなかったけれど、僕はジェドと過ごすその10分間がとても好きになった。ジェドは前の日に聞いたラジオの話とか、天気予報の聞き方とか、いろんなことを教えてくれた。他愛のないことばかりだったけれど、僕はそういう話を余り家庭でしなかったから、ジェドと話すのが楽しみで仕方なかった。ハンカチで手品を見せてくれたこともあったし、カードでゲームを2回くらいやったこともあった。スクールバスと言ってもジェドが体を横にしなければ通れない位のサイズで、決して大きな空間ではなかったけれど、当時の僕にとっては十分な遊び場だった。

ある日ジェドは、自分の家族の話をしてくれた。僕が自分の家族の話をするのと交換条件だった。僕の家族の話をジェドが聞きたいと言うので、僕がジェドにも自分の話も聞かせて欲しいと頼んだ。僕の両親は働いていて帰りが遅いこと、兄弟がいないこと、スクールバスが到着する時に迎えにきてくれるシッターの女性と夕食をとって、宿題をしてテレビを見て、両親が帰ってくると「おやすみ」と言って自分の部屋に入ること。そんなことを僕は話したと思う。

ジェドはその話を黙って聞いて、そして交換条件だった自分の話を始めた。

ジェドには僕と同じ位の年の男の子がいたこと。その子と奥さんを何よりも愛していたこと。そして、その最愛の奥さんと子供が交通事故で亡くなったこと。その交通事故が起きたとき、ハンドルを握っていたのがジェドだったこと。もう二度と車には乗りたくなかったけれど、独りぼっちでも生活するために運転手の仕事を選んだこと。

どうしてそんな話をあの時の僕にしてくれたのだろう。感受性は強かったとは思うけれど、僕はまだ9歳の子供で、どう答えていいかがわからなかった。だから話を聞き終わると同時に僕はジェドの膝の上に乗って、彼のことを抱きしめたんだ。僕は、それまで自分から誰かをそんな風に抱きしめたことはなかった。少し涙がこぼれてきて、ぼくはジェドのセーターでその涙を拭きながら、いつまでもジェドのそばにそんな風にしていたいと思っていた。ジェドも何も言わずに僕のことを抱きしめてくれた。そんなに暖かくて優しくて大きな腕を僕はそれまで知らなくて、言葉ではうまく説明できなかったけれど、その時間を何よりかけがえのないものだと感じていたと思う。体格も肌の色も暮らしぶりも違ったけれど、その時、ジェドは確かに僕のもう一人の父親だった。

翌日からはまた他愛のないお喋りで、ジェドと僕はおよそ2年間そんな風な10分間を毎日過ごし、2年後の新学期、ジェドの担当区域が変わってからはほとんど会うこともなくなった。一度だけ、僕が運転免許をとって初めての学期に、遅刻しそうになってハイスクールに車で向かったある朝、ジェドが運転するスクールバスとすれ違った(アメリカでは小学校より高校の方が始業時間が早い地域が多い)。僕は懐かしくてしようがなかったけれど、こちらを見ていたジェドは、僕と気づいたのかどうかもよくわからなかった。ハイスクールに入る頃、急に背も伸びたし、きっと顔つきも変わっていたんじゃないかと思う。

でも、本当は気づいていたかも知れないな…。

あれから20年もの時間が過ぎて、僕はふとそんな風に思った。大切な誰かとかけがえのない時間を過ごす喜びを教えてくれた彼は、きっとコークを毎日分け合って飲んだあの頃と変わらなかっただろう。ハイスクールに進んで、体も大きくなって、少し背伸びで大人の仲間入りをした気になっていた僕の中に、9歳の僕を見つけていたに違いない。

僕は、もう一度車のキーを回して、エンジンを止めた。

家に戻って、今日は彼女が起きるのを待とうと思う。余り色々なものは作れないけれど、トーストと卵を焼いておこう。まだ外は暗いし、時間は十分にある。彼女が起きてきたら「おはよう」と声をかけて抱きしめるんだ。家を出る前に、必ずキスをしよう。

家の前を最初のスクールバスが通り過ぎたら、彼女と一緒に一日を始めよう。

僕は玄関の扉を静かに開いた。
扉を開くと、ガレージが見える窓の横に、妻が立っていた。

# by raphie_y | 2004-11-18 05:36 | A Tale to you


    


AX