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2007年 12月 25日
Christmas Countdown/大きなツリーと光と奇跡
ごうごうと大きな音を立ててなだれ込むようにホームに到着する地下鉄は、私の住む町の地下鉄とは随分様子が違う。この町の地下鉄は100歳を超えるおじいちゃんなのだし、隣に立つ人にも、まるでおじいちゃんに話しかけるように耳元で大きく喋らないと声が届かない。そういえば、この地下鉄であの人の耳元に随分叫んだこともあった。…だって、怒っていた訳じゃないもの、と、思い出すと口元が緩んでしまう。そして、寂しさも一緒に思い出す。

どんなに賑やかな喧噪の中でも、地下鉄の轟音の下でも、あの人の気配は感じていた。あの人の足音は聞こえていた。不思議なくらいくっきりと。あの人はそんな風にいつもそばにいてくれたのだろう。

42丁目のグランドセントラルで地下鉄をおりると、外はどんよりと曇っていた。予報は曇り。雪の可能性が少し。

見上げる摩天楼は晴れた空に突き抜ける感じがいいという人も多いけれど、私は大きな雲に四角に閉じ込められた、宝石箱のようなこの町も好きだった。ミッドタウンは久しぶりで、目的の51丁目まで地下鉄を乗り継がず、今日は町を歩いてみたかった。昨日までは最後のクリスマスショッピングで賑わっていた町も、随分落ちついていた。クリスマスの当日は、これくらい静かな方がいい。それだって観光客と、家族から離れクリスマスなど関係ない人がまだまだごった返しているのだから。

ツリーを見に行くことにしたのだった。世界で一番有名なクリスマスツリー。3年ぶりだった。



駅から通りに出ると、大きな机を片付けている女性に出会った。深緑のクロスの上に、まだ随分カードが残されていた。

「見て行きません?子供たちからのサンタクロースへのお願いの手紙ですよ」

この季節になると、病院や施設の子供たちからのサンタクロースへの願い事を集めて、町行く人に実現できるものへの協力を呼びかけるチャリティがある。もうクリスマスになってしまったのだし、予定の自由もきかないし…。そう思って、一度は素通りしたのに、なぜだか後ろ髪を引かれた。

「サンタクロースになれそうですか?」

彼女がしまいかけたカードを1枚ずつ繰っても、どうにも選べない。選んでも実現のための良いアイデアが浮かばない。こういう時は、出たものに合わせて何とかするしかない。ええい、ままよ。

私は背中を向けたカードを1枚引いた。

「この子の願いをかなえるの」

強い意志さえあれば何とかなるはず。

「なんて書いてありました?」

『お父さんとお母さんに会いたい』

私は天を仰いで絶句した。

「無理しなくていいんですよ。立ち止まってカードを選んでくださった気持ちが嬉しいんです。毎日、ここにいた甲斐がありました」

彼女は微笑みながらそう言った。

「あなたは毎年ここでこのカードを紹介しているの?」

「ええ。私も昔、サンタクロースに手紙を書いたんです。クリスマスにはお父さんに家にいてほしいって」

明るい金髪の女性は北国の出身に違いない。
雪のように白い肌を少し紅潮させて、彼女は肩をすくめた。

「このカード、持って行っていいかしら」

彼女は少し驚いたような顔をして、「ええ、どうぞ」と答えた。



だって、クリスマスは誰かに何かをしてあげる日なのだから。

心の中で、そう何度も繰り返す声がある。でも。

お母さんはともかく、お父さんは困ったなぁ…。

北へ向かう通りでは、北風がビルに巻かれて頬を強く打ち付けた。
私はここで何をしているんだろう…。

約束したのは3年前だった。

世界で一番有名なツリーの下で待ち合わせしよう。
クリスマスの晩に。

どちらが先に言い出したことなのかが思い出せない。
あの人が最後にそう言った時、私は嬉しかったのに「嬉しい」と言えなかった。
そのことだけを鮮明に覚えている。

何を怖れていたのだろう。
穏やかで優しい人だった。
何一つ申し分のない人だった。
ただ、時々私の心遣いの足りなさと、あの人の言葉の足りなさが、小さなすれ違いの隙間を作っていたのだった。傷つけたこともあるはずだ。何か悪いことがあるならば、きっと私のせいだったはずだ。

最後の最後に私は、心を決めることができなかった。
そして、何回もツリーの前の人混みを通り過ぎながら、私は約束の場所には行かなかった。
3年前のあの日、目映いばかりに輝くツリーを臨む51丁目の街角から、私は逃げ出した。

あの人はずっと待っていてくれたのだろうか。
いつまで経っても現れなかった私を、今でも怒っているのだろうか。



五番街の角を曲がると、小さな男の子が年老いた女性の手を引いていた。

「大きなツリーはもうすぐなの?」

踊るように振り向いた男の子に、後ろを歩いていた父親らしいアジア人の男性が頷いた。

「ツリーにお星様はついているよね?そしたら僕は願いをかけるんだ」
「どんな願い事だい?」

女性が訊ねると、男の子はこう言った。

「おばあちゃんにもサンタクロースが来てくれますように。
おばあちゃんが一番喜ぶプレゼントをくれますように!」

「優しい子だねぇ」

女性は目を細めた。
後ろを歩く父親は言った。

「きっとおじいちゃんによく似たサンタクロースが来てくれるさ。
おまえがそういう風に願いをかけてくれたらね」

父親が小さくウィンクすると、隣で柔らかい栗色の髪の女性が嬉しそうに微笑んだ。



自分もそういう家庭が欲しくなかったと言えば嘘になる。
でも、もうそれは普通の形では望むべくもなくなってしまった。
去年の春先、小さな検査をきっかけに、私には摘出不能な腫瘍があることがわかった。
放射線治療を繰り返し、体の外側の副作用を思い返すだけで、素人にだって体の内側のダメージが想像できる。
担当医は静かに言った。

「ご結婚はまだのようですが、子供を生むことを考えるのはずっと後になります。
生めなくなるかもしれません。」

「かもしれない」ではないことを、悟れないほど愚かではなかったと思う。
まるで別の誰かの話のように、私は冷静に聞いていた。
両親は何も言わなかった。
結婚している友人たちは、腫れ物に触れるのを避けるように、家族の話題を口にしなくなった。

治療が良い方向に進んだことは幸いだった。
マーカーの数値も、好ましい状態を保っている。
10ケ月後、一旦退職した会社にパートタイムとして戻ることが許された。
体力が戻るにつれ、仕事は再び楽しくなり、上司はいずれ無理のない段階で正社員に戻してプロジェクトを任せたいと言ってくれた。

その時には、と密かに思っていることがある。
養子を迎えたいのだ。
自分の生まれた国の子供もいいし、途上国の違う人種に生まれた子供もいい。
母子家庭でもやっていける蓄えと体調の目処が立ったら、きっと実行に移すんだ。
だから回復しなければいけないし、仕事にも精を出さなくては。
そんな甘いものではないという人もいるだろうけれど、何年かかるかわからないけれど、今の私はそれを目標に生きている。今年の夏になってからは、随分あれこれ資料を読んで、少しずつ準備も進めている。こうして長い旅行も平気になっている。きっと遠い夢ではないはずだ。

3年前の私がぽかんと口を開けて見ている気がした。

3年前のあの人が、一瞬絶句して言葉を探している気がした。

それを私がくすりと笑う。
不思議ね。
あの日、あなたについて行くことを自分で決めることさえできなかったのに。


夢をひとつかなえることは、同時に抱いていた別の夢を手放すこと。
そうして人生は選択を繰り返す。その当たり前を、いつの間にか怖れていたのかもしれない。


それなのに、こうして体の条件を決められて、不思議なことに色々な夢が芽生え始めた。だから、この病気は私が神様からもらったプレゼントね。

でも、と思う。

こうしてもう一度命を与えられたからには、他の誰かに自分の何かを与えなければ。
「他の誰かに何かをしてあげること」
それは、まだまだあの人に教わらなくてはならないこと。

一体どうやって?
3年前に約束を破ったのは私なのに。



五番街の通りを挟んだ聖パトリック大聖堂の鐘が鳴るまでもう少しの時間があった。
48丁目から地下に入り、スケートリンクが見たかった。

リンクの周り一面にガラスを張ったビルの地下一階では、レストランと有名なヨーロッパの硝子店が軒を並べている。
例のツリーの頂に輝くのは、この店のガラスの星だ。
レストランのピアノ演奏が、ホールにまで流れ出していた。

小さな休憩後、ショパンのノクターンが始まると、私は目も耳もピアノに釘付けになった。
弾いているのは中年の女性で、少し荒削りなのに、心の揺さぶられる演奏だった。
食事をしている客が手を止めて、時々ピアノの方に目を奪われている。
レストランのピアノがそれではいけないのだが、私にはその客たちの思いがわかる気がした。
ノクターンが終わると、小さなレストランなのにピアノが二台も入っていて、もう一台にロマンスグレーの紳士が座った。
二人は軽快なラグタイムに乗せてクリスマスキャロルをメドレーで弾き始める。息のぴったりと合ったシンコペーションの掛け合いは、長く暮らしを共にするパートナーに違いないと確信させるに十分だった。

演奏後の二人は、椅子を立ち小さく会釈をすると、小さな声で"Merry Christmas"と言った。
店の外で聞いていた私に、ロマンスグレーのピアニストは、少し赤みを帯びた左手で左胸を押さえ、静かに挨拶を送った。

「離れているあなたにも、わたしたちの想いは伝わりましたか?」

仕草ひとつで、そんな声が聞こえた気がした。

"Merry Christmas"

声にならない口の動きで、私はたどたどしくそれに応じる。

するともう一度

「あなたの想いも必ず」

凛とした声ならざる声が心に響いたのだった。

「Merry Chrismas.  あなたの想いが伝わるために」

誰かに何かを届ける魔法の手。
欲しかったのはその魔法だ。
まだ守られている…。
ピアニストのその仕草は、言葉にならない安堵を与えてくれた。
まるで、指揮棒を振ると魔法を使えるドイツのおとぎ話の魔法使いのように。

きっと大丈夫。あれがクリスマスの奇跡を助ける魔法の手だ。
あの手を得るために、私にはあの人の力が要る。
何をしたらよいのかまだわからないけれど、ツリーの下に行こう。
行かなくては。

たとえあの人が来なくても。



コートのポケットから手袋を出す時、素手で右のポケットの中に触れた。
航空券が二組入っている。

「ばかね。約束だったのは3年前じゃない」



はるか遠い北の国の物語。
あの人が話してくれた、サンタクロースの来ない村の話。
その村では大人が全員サンタクロースで、世界中にプレゼントを届けるためにクリスマスの間中飛び回って、村が留守になってしまう。村の大人は全員サンタクロースなのに、その村の子供たちはサンタクロースからのプレゼントを受け取ることができないというのだ。だから、サンタクロースからプレゼントを受け取った世界中の子供たちが大人になった時、その村を訪れ、村の真ん中の広場の大きな樅の木に、一つずつ灯りをともすというお話。プレゼントのお返しに、その小さな灯りの一つ一つが、村の子供たちへのプレゼントになるように。

人々が与え合うことによって、生まれる数々の奇跡。
クリスマスの奇跡は、偶然ではなく、誰かが与えようという心から起こるもの。
だから、クリスマスは誰か他の人のために、何かをしてあげることだと思う、とあの人は言った。



一組は使う予定のない、ただのおまじないのようなもの。
でももう一組は…。
本当は去年行こうと思っていた。病気がなければ。
でも、きっと今が一番いい機会なのではないかと思う。
新年まで灯し続ける北の国の村の樅の木に、私も一つ灯りをともしたい。

私が受け取ったプレゼントは数えきれない。
あなたと出会ったことも
あなたを失ったことも
病気を得たことも
病気から得たことも


あなたが受け取ったプレゼントは何ですか…?



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扉を開くと
世界で一番有名な
大きな大きなクリスマスツリー

数えきれないほどのライトは、夜空に届いて星に姿を変えそうなほど。

会えなくてもいいの
会えなくてもいいの

呪文のように繰り返しながらコートの左ポケットに手を入れた。

さっきの駅前の子供からのカードが指先に触れた。



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聖パトリックのゴシックの鐘楼から時を告げる鐘が鳴る。
ツリーの正面にあるデパートの壁一面に飾られた白い電気の雪の結晶が、一瞬消え、そして瞬いた。

会えなくてもいいの

降り始めた雪が頬を撫でる。
イルミネーションとの境がわからなくなったのは
雪が目に入ったからだ。


いっそ真っ白な雪になればいい。
そうだ、あの人を思い出すのはいつだって真っ白な雪の日だ。


白いマフラーを頬まで持ち上げながら、空を仰いで瞼を閉じた。


あの人の気配を感じる。
あの人の足音が聞こえる。
不思議なくらいくっきりと。
そうしていつもそばにいてくれたあの頃のように。


どうか今度こそ
誰かのために生きることができますように。


もう一度固く目を閉じて、そして、私はクリスマスの奇跡を信じた。


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★★★★★ Christmas Countdown ★★★★★
  
   ☆   文豪evansとミステリー作家raphieが
  ☆☆   クリスマスイブまで一日一作ずつ
 ☆☆☆   クリスマスの物語を交互に書いていきます。
☆☆☆☆   世界の皆さまに、素敵なクリスマスが
    □     訪れますように・・・

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律儀な律儀な文豪さん、ありがとうございました。
私の灯りは本当は昨年2月に使い切ってしまっていたのですが(笑)。
クリスマスと復帰のご祝儀ということで大目に見てくださいね。

世界の皆さんへ、もう一度。そして何度でも。
Merry Christmas!


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この話と対になっている素敵なストーリーも是非お読みください。
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by raphie_y | 2007-12-25 22:25 | Christmas 2004


    


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