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2004年 11月 29日
冷たい季節
冷たい季節が好きなのは
あなたの手をあたたかく感じるから

冷たい季節が好きなのは
あなたの言葉がくっきりと聞こえるから

冷たい季節が好きなのは
あなたを想う自分の心と
まっすぐ向き合うことができるから
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by raphie_y | 2004-11-29 05:53 | An Ode to you
2004年 11月 23日
雨には負けず 女で候
山の方では雪が降り始めたらしいけれど、この辺りはまだそれほど冷たくもならない雨。部屋の中からアパートの庭が雨に濡れるのを見たり、さらさらとサ行が重なるような静かな雨音を聞くのはとても好きでも、外に出るには少し装備が必要だ。

本家のページで触れたことがあるが、こんな日にはエナメルのパンプスにタイトスカートと決めている。普段のパンツスタイルと革靴では、後のことを考えると心もとなくて、いつものペースで歩けない。だから、雨に傷むことのないエナメルと、後の手入れをする必要がない、膝丈までのスカート。これにお気に入りのコートをかければ、いつも通りに元気に歩くことができる。

本人としてはいつも通りに元気に歩くためにこの装備なのだが、普段パンツスタイルでばかりいると、余程珍しく見えるらしく、何か特別なことでもあるのか、と聞かれてしまうことが多い。自分でも町で店のウィンドウなどに写る自分の姿が目に入ると、見慣れなくて一瞬視線が止まってしまうことがある。異様だからだなんて、言いたくはないけれど。

こういうスタイルで歩くと、普段かなり中性化が進んでいる自分に、ふとまだ「女性」があることを感じるし、そのことを時には嬉しくも思う。これは自分にとってはとても大きな変化で、少なくとも20代の頃まで、私は自分が女と思われるのが不愉快でしようがなかった。それは当時の社会が女性に期待していた役割のようなものに対する反発だったかも知れないし、それほど大袈裟なことではないにしても、同じ条件にある男性にできて自分にできないことがあるということを認めたくない気持ちが強かったからではないかとも思う。

フェミニストだとかそういうたいそうな次元の話ではなく、ただ、自分の可能性が性別を条件に閉ざされて行くことに、我慢がならないような、要するに若かったということなのかも知れない。工具を持たされて、多少の擦り傷を作りながら物を作ったり直したりする作業は何より楽しかったし、少し無理をしても重く大きい荷物を持つことも何ともなかった。車を運転するのも好きだったし、それこそ同じ年代の男性たちが好きそうなことは一通りやってみたかった。その頃の自分にとっての一番のお洒落は、ありきたりのリーバイスを誰より格好よく履きこなすことだったのだから、当時の「女性らしさ」などという定義には微塵もあたらなかった。雑誌で「女子大生」がもてはやされ、素人でもファッションリーダーになって雑誌モデルになるような世界は、まったくもって無縁だった。

アメリカに来てから、少し太って、かなり痩せた。当初の言葉の問題から始まって、今に至るまで毎日は波瀾万丈の連続だ。波瀾万丈のない人生にはとっくに見放されている気もするけれど、それでも、それなりに自分のペースというのも掴めてきて、そんな人生サーフィンを楽しんでいるような気もしている。

体重ががっくり落ちた4年前、それまで着ていた洋服が全く体に合わなくなって、特にスカートやパンツを全部一新せざるを得なくなった。体重が落ちた理由というのもそれなりにあって、その頃、ともかくそれ以前の自分に戻るのが本当にいやだったのだと思う。体重が変わって外見も会う人ごとに指摘されるほど変わって、私はその変わったままの自分でいたいとも思い始めていた。

それまで違和感のあったスカートが、随分似合うようになった気がして驚いた。着るもので気分まで変わるというのは、いかにもお気軽な気もするが、スカートを着る日には、パンツスタイルの日以上に背筋が伸びるような気がする。「女性」として見られるなら、姿勢のいい、きりりとした女性に見られたいと思うようになっていた。

「女性らしさ」が何なのかは、未だによくわからない。心遣いとか細やかさとか言うかも知れない。でも、男らしい男性が、そういう心配りを見せるときもあるし、そういう場面に立ち会う度に、とても清々しい気分になる。女らしい女性が、度肝を抜くような大胆な決断をしてみせても、それを驚く必要も感じない。そもそも、男性らしさとか女性らしさがどこにあったのかも、今となってはもうわからない。それは、女性として見られることをあれほど嫌ったあの20代の頃と、現在とで、性に期待される役割自体が変わってしまったせいもあるのかも知れない。あるいは私が東京育ちで、そういう縛りからいち早く逃れる地域にいたせいもあるかも知れないし、更には、性差を超えることに社会自体が敏感になっているアメリカの都市部に8年住んでいることも関係ないとは言えないだろう。そして、もう一つはおそらく、自分が妻になり母になっていないこと。これはもしかしたら一番大きな理由なのかも知れない。

アメリカのリベラルな都市にいれば、周りに少なからぬフェミニストもいる。そんな人たちには怒られるのかも知れないけれど、最近の私は女に生まれたことを嬉しいと思えるようになっている。日本では標準身長でも、こちらにいれば小さめで、職場で高いところにある重い荷物を出し入れすることもままならない。そういう時には無理をしないことにもしている。自分が無理をしては壊してしまうかもしれない大切な書類もある。そういうところで無理をするのはきっぱりやめたのだ。それよりも自分が少しでもできることをもっと伸ばす方に頑張る。少し頑張ることで、自分が荷物を運んでもらうように、自分が誰かを助けられるなら、その方がずっといい。

そして雨の日にはスカートとエナメルのスクエアトゥのパンプスで、背筋を伸ばして誰よりも元気に歩く。天気になんか負けない。人との体格差や能力差は受け入れるけれど、自分には負けない。そんな気持ちで、「女」である自分に雨の日は元気をもらう。雨になんか負けない。私は女で、私は私。
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by raphie_y | 2004-11-23 13:50 | A Tale to you
2004年 11月 21日
雪に町が沈む日には
今年の2月。あともうひと月も待てば春のニュースも入るのではないかという頃、最後の大雪が東海岸を直撃した。天気予報でどれほどの事態になるかの予測もついていたので、前日からワシントン市と周辺には戒厳令が敷かれ、政府関係の車以外は道路を走ることが許されず、空港も閉鎖され、オフィスも学校もみんな閉まった。

3日続いた大雪の後、まばゆいほどの朝日が光って、私は誰よりも早く通りに出て行った。通りの除雪が追いつかず、車道にも膝上の高さほどの雪が積もり、車も走らず、空港近くなのに飛行機も飛ばず、人々の声や足音すら聞こえない朝は、雪に全ての音が呑み込まれていた。音のない世界で、冷たい空気は凛としてその存在を放っているように思えた。

肌を刺すような冷たい朝は今でも愛おしい。

学生時代にスキー場でアルバイトをしていた頃、別の地域からやってきていた3歳年上の男性と初めての恋をした。夏には山岳警備をしていたその人が、山の天気や草花や川の魚や山鳥のことを教えてくれた。別々の旅館で働いていたその人とは、夕食の片付けが終わった後、近所のバイト仲間たちと一緒に毎晩会っていた。ひとしきり仲間たちが飲んで、日付が変わる頃、二人で一緒に私の働いていた宿に向かう。その時、あれだけ賑やかだったスキー場とその周辺からは一切の音が消え、私たちが踏みしめる雪の音と、自分の心臓の音だけが、やけにくっきりと耳の底で鳴っていた。

スキー場で二人になれる時には、他のスキーヤーたちの知らない、ゲレンデから少し外れた、地元の人たちだけが知っている新雪の中を滑った。休憩する時には、遠いゲレンデに鳴る音楽を聞いたり、ふいに谷間の空気を貫くような鳥の声を聞いたり、時にはウォークマンの左右のイヤホンを分け合って、ビリー・ジョエルと、なぜかユーミンを聴いた。話をしたり物を書いたりすることは得意でない人だったけれど、毎日会っている間にも、押し花のついた葉書が彼から郵送されたことがあった。言葉はいつも一言も添えられていなかった。そんなだから、旅館のご主人やおかみさんも私たちのことには気づいていて、何も言わずに休みの時間には自由にできるように計らってくださった。

彼との思い出の中には、音のない時間がとても多い。二人の間の要らないものの一切合切を雪が呑み込んでくれていたのではないかと思うほどだった。

彼の右手はいつでも誰かを助けていた。夏や冬の山で。そして彼が働いていた旅館や、冬の山に集まるバイト仲間たちの間で。彼の左手を私の右手が独り占めできるようになってから2年後。彼は登山した冬の山から帰って来なかった。出かける前に最後に交わした言葉を、どんなに思い出そうとしても思い出せない。相変わらず何も話さないまま、音のない雪の中にいたような気もするし、ビリー・ジョエルの音楽の中にいたような気もする。彼は今でも26歳のままだ。好きという言葉を口に出して言ったことはほとんどなかったけれど、ふたりの好きという気持ちを繋ぎ合ったままで、その恋は終わった。

あれからいくつかの恋もしたし、彼のことを思い出す時間は今ではほとんどなくなってしまった。あんなに好きだった最初の恋の相手なのに、薄情としか言いようがない。

それでも雪に町が沈む日には、あの音のない世界を思い出す。ワシントン郊外の山岳地帯に今日今年初めての雪の便りが届いた。町に雪が届くのはまだ少し先になるだろうけれど、あの音のない世界に包まれることを考えると、とても心地よくなれる。昔の恋は少し重い荷物だったこともあるけれど、私はもうそれを過去に捨てようとは考えないことにした。心を少しだけ鍛えて、筋力をつけてあげれば、新しいたくさんの出会いを受け入れながら、昔を一緒に運んで歩いていく力にもなるだろう。雪が音を消し去った後には、きっと自分の心の底に残された、素のままの声と言葉だけが聞こえるだろう。
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by raphie_y | 2004-11-21 02:37 | Monologue
2004年 11月 18日
スクールバス
この数日僕は、夜明け前に家を出て会社に向かっている。妻を起こさないように、そっとベッドから出て、身支度を整えて、静かにキッチンで朝食をとって、そして音をたてないように玄関の扉を閉める。彼女も少しは気にかけて、一緒に起きて朝食の準備をしようとも言ってくれたけれど、コーヒーは一人でもいれられるし、シリアルにミルクをかければ、それで十分なので、僕のためにわざわざ起きなくていい、と言った。

最近あまり妻とも話をしていない。彼女も仕事で責任のあるポジションにいて、帰宅も遅いし、家に帰っても持ち帰った仕事の続きで、すぐにコンピュータに向かうことが多い。僕は僕で好きな音楽を聞きながら、好きな本を読んでいたりで、彼女と話をしなくても、それほど不自然には思わなくなっていた。時々僕たちはどうして夫婦なのだろうという疑問が頭をよぎることもあったけれど、そんなことは誰もがどこかで感じることなのかも知れないと、それ以上を突き詰めて考えることもしなくなった。そんな訳で、夏前に引っ越した僕たちの郊外の新しい家も、いつもとても静かだった。

車のキーを回し、イグニションの音を聞きながら、僕はこの数日のことを考えていた。

5日ほど前、懐かしいクラスメートが電話をよこした。それは、僕たちが小学校3年生の時に、僕が住んでいたエリアを担当していたスクールバスの運転手のジェドが死んだという知らせだった。故郷を遠く離れていた僕には、2週間前に亡くなった彼の葬式のニュースも届かず、結局、ジェドのために何をすることもできなかった。

自分でも驚いたのはその翌朝のことだ。会社に向かう車の中で、朝も7時を過ぎれば当たり前に走っているスクールバスを目にする度に、とめどなく涙があふれてきて、運転することもままならなくなってしまった。なぜそんなに涙が出るのかわからず、しかたなく路肩に車を寄せ、僕は涙が流れるにまかせていた。黄色いスクールバスを見る度に、胸が締め付けられた。自分の父親が死んだときには一滴の涙もこぼれなかったのに、皮肉で不思議で仕方がなかった。僕は、しばらくスクールバスが走る時間に運転することはできないと思った。でも大きなプロジェクトで夢中だった僕は、その理由を深く考えることを敢えてせず、ただスクールバスが走る時間を避けて通勤することだけを選んで、この数日を過ごしてきた。その朝、少しかすれた音をたてたイグニションが、ジェドがスタートさせたスクールバスのエンジンの音を唐突に僕に思い出させたのだった。

ジェドは太った黒人のドライバーで、9歳の僕は彼を父親のように慕っていた。当時、僕の家は学校から一番遠い郊外にあって、朝スクールバスに乗り込むのは一番最初で、そして帰りに降りるのは一番最後だった。どちらかといえば裕福な家庭で、家はとても静かな緑の多い地域にあったけれど、近所に遊びに行ける友人もいなかったし、僕自身、余り積極的に友達と打ち解けることができる方でもなく、学校からの往復のバスの中でも、僕は賑やかな子供たちの隅の方で、いつも静かに座って外ばかり眺めていた。

ある夕、他の生徒がみんなバスを降りた後、ジェドはバスを近所の公園の駐車場に入れて僕を運転席の横の席に呼んで、そして少しずつ話を始めた。その時、彼と初めてきちんと自己紹介を交わしたのだけれど、僕はうつむいてばかりで、彼が一人で話していたような気がする。朝食は誰と一緒に食べるのとか、帰った後はどんな風に過ごすのとか、ジェドはいろんな質問をしたけれど、最初の頃はうまくジェドに答えることもできなかった。僕たちはただ、ジェドが運転席に置いていた少しぬるくなったコークを分け合って飲んで、10分くらいの時間を過ごした。そしてジェドは僕の迎えが来る通りの角で、いつも通り僕を下ろしてくれた。

迎えに来るのは普通は母親なのだろうけれど、僕には当時シッターがいて、その人が毎日迎えに出てくれた。母親は仕事を持っていて、夕食も僕はシッターの女性と二人で食べることが多かった。最初にジェドと話した日、ジェドはシッターの女性に何やら遅くなった言い訳をしていたけれど、そのうちその10分は恒例になって、彼女もその時間に合わせて迎えに来るようになっていった。

学校ではほとんど誰とも話さなかったけれど、僕はジェドと過ごすその10分間がとても好きになった。ジェドは前の日に聞いたラジオの話とか、天気予報の聞き方とか、いろんなことを教えてくれた。他愛のないことばかりだったけれど、僕はそういう話を余り家庭でしなかったから、ジェドと話すのが楽しみで仕方なかった。ハンカチで手品を見せてくれたこともあったし、カードでゲームを2回くらいやったこともあった。スクールバスと言ってもジェドが体を横にしなければ通れない位のサイズで、決して大きな空間ではなかったけれど、当時の僕にとっては十分な遊び場だった。

ある日ジェドは、自分の家族の話をしてくれた。僕が自分の家族の話をするのと交換条件だった。僕の家族の話をジェドが聞きたいと言うので、僕がジェドにも自分の話も聞かせて欲しいと頼んだ。僕の両親は働いていて帰りが遅いこと、兄弟がいないこと、スクールバスが到着する時に迎えにきてくれるシッターの女性と夕食をとって、宿題をしてテレビを見て、両親が帰ってくると「おやすみ」と言って自分の部屋に入ること。そんなことを僕は話したと思う。

ジェドはその話を黙って聞いて、そして交換条件だった自分の話を始めた。

ジェドには僕と同じ位の年の男の子がいたこと。その子と奥さんを何よりも愛していたこと。そして、その最愛の奥さんと子供が交通事故で亡くなったこと。その交通事故が起きたとき、ハンドルを握っていたのがジェドだったこと。もう二度と車には乗りたくなかったけれど、独りぼっちでも生活するために運転手の仕事を選んだこと。

どうしてそんな話をあの時の僕にしてくれたのだろう。感受性は強かったとは思うけれど、僕はまだ9歳の子供で、どう答えていいかがわからなかった。だから話を聞き終わると同時に僕はジェドの膝の上に乗って、彼のことを抱きしめたんだ。僕は、それまで自分から誰かをそんな風に抱きしめたことはなかった。少し涙がこぼれてきて、ぼくはジェドのセーターでその涙を拭きながら、いつまでもジェドのそばにそんな風にしていたいと思っていた。ジェドも何も言わずに僕のことを抱きしめてくれた。そんなに暖かくて優しくて大きな腕を僕はそれまで知らなくて、言葉ではうまく説明できなかったけれど、その時間を何よりかけがえのないものだと感じていたと思う。体格も肌の色も暮らしぶりも違ったけれど、その時、ジェドは確かに僕のもう一人の父親だった。

翌日からはまた他愛のないお喋りで、ジェドと僕はおよそ2年間そんな風な10分間を毎日過ごし、2年後の新学期、ジェドの担当区域が変わってからはほとんど会うこともなくなった。一度だけ、僕が運転免許をとって初めての学期に、遅刻しそうになってハイスクールに車で向かったある朝、ジェドが運転するスクールバスとすれ違った(アメリカでは小学校より高校の方が始業時間が早い地域が多い)。僕は懐かしくてしようがなかったけれど、こちらを見ていたジェドは、僕と気づいたのかどうかもよくわからなかった。ハイスクールに入る頃、急に背も伸びたし、きっと顔つきも変わっていたんじゃないかと思う。

でも、本当は気づいていたかも知れないな…。

あれから20年もの時間が過ぎて、僕はふとそんな風に思った。大切な誰かとかけがえのない時間を過ごす喜びを教えてくれた彼は、きっとコークを毎日分け合って飲んだあの頃と変わらなかっただろう。ハイスクールに進んで、体も大きくなって、少し背伸びで大人の仲間入りをした気になっていた僕の中に、9歳の僕を見つけていたに違いない。

僕は、もう一度車のキーを回して、エンジンを止めた。

家に戻って、今日は彼女が起きるのを待とうと思う。余り色々なものは作れないけれど、トーストと卵を焼いておこう。まだ外は暗いし、時間は十分にある。彼女が起きてきたら「おはよう」と声をかけて抱きしめるんだ。家を出る前に、必ずキスをしよう。

家の前を最初のスクールバスが通り過ぎたら、彼女と一緒に一日を始めよう。

僕は玄関の扉を静かに開いた。
扉を開くと、ガレージが見える窓の横に、妻が立っていた。
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by raphie_y | 2004-11-18 05:36 | A Tale to you


    


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