カテゴリ:Monologue( 1 )

2004年 11月 21日
雪に町が沈む日には
今年の2月。あともうひと月も待てば春のニュースも入るのではないかという頃、最後の大雪が東海岸を直撃した。天気予報でどれほどの事態になるかの予測もついていたので、前日からワシントン市と周辺には戒厳令が敷かれ、政府関係の車以外は道路を走ることが許されず、空港も閉鎖され、オフィスも学校もみんな閉まった。

3日続いた大雪の後、まばゆいほどの朝日が光って、私は誰よりも早く通りに出て行った。通りの除雪が追いつかず、車道にも膝上の高さほどの雪が積もり、車も走らず、空港近くなのに飛行機も飛ばず、人々の声や足音すら聞こえない朝は、雪に全ての音が呑み込まれていた。音のない世界で、冷たい空気は凛としてその存在を放っているように思えた。

肌を刺すような冷たい朝は今でも愛おしい。

学生時代にスキー場でアルバイトをしていた頃、別の地域からやってきていた3歳年上の男性と初めての恋をした。夏には山岳警備をしていたその人が、山の天気や草花や川の魚や山鳥のことを教えてくれた。別々の旅館で働いていたその人とは、夕食の片付けが終わった後、近所のバイト仲間たちと一緒に毎晩会っていた。ひとしきり仲間たちが飲んで、日付が変わる頃、二人で一緒に私の働いていた宿に向かう。その時、あれだけ賑やかだったスキー場とその周辺からは一切の音が消え、私たちが踏みしめる雪の音と、自分の心臓の音だけが、やけにくっきりと耳の底で鳴っていた。

スキー場で二人になれる時には、他のスキーヤーたちの知らない、ゲレンデから少し外れた、地元の人たちだけが知っている新雪の中を滑った。休憩する時には、遠いゲレンデに鳴る音楽を聞いたり、ふいに谷間の空気を貫くような鳥の声を聞いたり、時にはウォークマンの左右のイヤホンを分け合って、ビリー・ジョエルと、なぜかユーミンを聴いた。話をしたり物を書いたりすることは得意でない人だったけれど、毎日会っている間にも、押し花のついた葉書が彼から郵送されたことがあった。言葉はいつも一言も添えられていなかった。そんなだから、旅館のご主人やおかみさんも私たちのことには気づいていて、何も言わずに休みの時間には自由にできるように計らってくださった。

彼との思い出の中には、音のない時間がとても多い。二人の間の要らないものの一切合切を雪が呑み込んでくれていたのではないかと思うほどだった。

彼の右手はいつでも誰かを助けていた。夏や冬の山で。そして彼が働いていた旅館や、冬の山に集まるバイト仲間たちの間で。彼の左手を私の右手が独り占めできるようになってから2年後。彼は登山した冬の山から帰って来なかった。出かける前に最後に交わした言葉を、どんなに思い出そうとしても思い出せない。相変わらず何も話さないまま、音のない雪の中にいたような気もするし、ビリー・ジョエルの音楽の中にいたような気もする。彼は今でも26歳のままだ。好きという言葉を口に出して言ったことはほとんどなかったけれど、ふたりの好きという気持ちを繋ぎ合ったままで、その恋は終わった。

あれからいくつかの恋もしたし、彼のことを思い出す時間は今ではほとんどなくなってしまった。あんなに好きだった最初の恋の相手なのに、薄情としか言いようがない。

それでも雪に町が沈む日には、あの音のない世界を思い出す。ワシントン郊外の山岳地帯に今日今年初めての雪の便りが届いた。町に雪が届くのはまだ少し先になるだろうけれど、あの音のない世界に包まれることを考えると、とても心地よくなれる。昔の恋は少し重い荷物だったこともあるけれど、私はもうそれを過去に捨てようとは考えないことにした。心を少しだけ鍛えて、筋力をつけてあげれば、新しいたくさんの出会いを受け入れながら、昔を一緒に運んで歩いていく力にもなるだろう。雪が音を消し去った後には、きっと自分の心の底に残された、素のままの声と言葉だけが聞こえるだろう。
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by raphie_y | 2004-11-21 02:37 | Monologue


    


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