カテゴリ:A Tale to you( 5 )

2005年 04月 09日
花霞
桜の季節に突如この町に戻ってきた人がいた
ほんの短い滞在で
まるでこの町の桜のように
あっと言う間に
通り過ぎて行ってしまった

もう数年前
その人が町を離れる直前に
初めて深く言葉を交わして
その時
初めてどれほど惹かれているかに気付き
思いは伝えられないまま
その人は元いた町へと
家族の待つ町へと帰っていった

一年もここにいたのに
話ができたのはほんの数日だった

誰にとっても辛かったあの秋を
お互いの姿を見ながら
励まされ合っていたのだと知ったのも
その人が帰っていく直前のことだった

メールや手紙が幾度か往復して
ごくありふれた季節の挨拶を交わして

思い出したように行き交う言葉は
たぶん幾重にも上着を着飾って

伝えたい本当の言葉は
どこまでそれをめくれば
見ることができたのだろう

どこまで言葉を深めれば
その人の言葉の裏側を
見つめることができたのだろう

三年ぶりに会ったその人は
あの頃のばしていた顎髭をすっかり落とし
眼鏡の形も少し変わって
そして幸せそうに見えた

翌日にも満開になりそうな
桜並木の下を歩きながら
川を引き込んだ池の前で足を止めた

毎日どうしているの
あなたの町の桜は
今年はいつ頃咲きそうなの
あの頃のようにまだ歌っているの
新しい歌はできたの
一緒に歌いたいな
ギターを弾いてよ
仕事は楽しいの
毎日何を考えているの
毎日何を見つめているの
毎日どんな言葉が
あなたの心を占めているの

光る水辺に視線を落としていると
聞きたい言葉はいくらでも
水面に映る桜の間にに浮かび上がってきた
そして
それを掴もうとする度に
するりするりと水底に戻り
結局
たった一つも捕まえられなかった

桜を見ようよ
せっかくここに来たのだから

そうして初めてわたしは

わたしは
その人の目を見た
ずっと見つめられていることに
本当は気付いていたのだった

一度合った視線は
互いに離れる方法を知らないのだろう

一瞬にも思えるような
永遠にも思えるような
継続の感覚すら失った時間の中で

首筋の辺りに自分の鼓動を感じて
会えない三年の間に
あれほど溢れていた言葉を
すべて失ったままで

見つめ合った時間は
自分をどこに連れて行こうとしているのか
その人がどこに行くことを望むのか

ただ池の遠くの岸に
細く線を作る薄紅の並木が
その人の肩越しにあることに気付くだけで
こみ上げてきそうに思えたのは涙だったのか

泣きたいと自分を突き動かす感情など
どこにあるのかもわからず
それとも自分の行く先を決めることもできない
己の弱さの言い訳なのか
その人の後ろで池の水が揺れると
自分の心もまた
揺れているように思えるのだった

春の優しいはずの光が
その人の背中越しの水面につくる
幾つもの反射は
ちっとも柔らかくなどなかった

水辺の薄紅色と冴えた空の青を映した水が
自分の心にある何を映すのか
それを考えると春の陽射しは
実はちっとも暖かくなどなかった

ただ
ただ本当の心を遮るのは
淡く厚く薄紅色に覆い尽くす花霞
美しさで心を満たしたまま
真実を覆い隠す花霞

石段で私の手をとったあなたに
触れた時 わたしの心のいた場所

この人が向かう先
この人の心が見える場所
わたしが着いて行きたい場所
着いて行けない場所

花霞の上に広がる
透明に見える空が
本当に透明なのかどうか
この目で確かめてみるために
自分の何を強めれば良かったのか

一瞬の心だけは
捕まえなければ
いけないはずだった

あの三年前も
そして今も

この町の春は
たった三日でたどり着き
たった三日で走り去る
余りにも儚く通り過ぎる
瞬きのような季節なのだから
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by raphie_y | 2005-04-09 13:24 | A Tale to you
2005年 01月 24日
流氷
枝幸に流氷が接岸した朝、私は一番に起きて家の裏手の林を抜けて、海へと走った。ここ数日の間、積雪はないものの、それまでに積もった雪はどんどん堅くしまって、靴の下できゅっきゅっと乾いた硬質な音をたてていた。林の向こう側に朝日が光ると、空気の中を浮遊していた雪の結晶が、きらきらと細かく輝いた。この冬初めて見るダイアモンドダストだった。

祖母は今年の冬を待たずに逝った。
去年のこの流氷の季節、なぜだか唐突に祖母が私に打ち明けた話が、この朝私の背中を押していた。

人を驚かせてばかりいる祖母だった。まだ幼い頃、若かった叔父と叔母が遊びに来たことがあった。叔父は養父母のいる自分の実家には帰らず、妻の両親の家である私の祖父母のところにばかり夫婦で立ち寄っていたらしい。叔父の養父なる人物がそれが気に入らず怒鳴り込んで来た事があったが、祖母はけんか腰でそれを追い返した。そんなことは妻の母親のすることではない、と後から皆笑ったが、たまたま留守にしていた叔父にその一件を話した者はいなかったのだと思う。叔父の幼少期は幸せなものではなかったらしい。

祖母は豪気な人だった。決して自分を譲らない人でもあった。思い込みも激しかったが、自分なりの正義を貫いた人でもあった。

ある日、祖母はこんな風に切り出した。

「ゆり子にだけは話しておくかな」

祖父が亡くなってから、隣り合って住んでいた私たちの家に住むようになった祖母が、私と二人の午後に唐突に話し始めたのは、亡くなるほんの2ヶ月前のことだった。

「じいちゃんは本当のじいちゃんじゃなかったんだよ」

私は驚いて祖母の顔を覗き込んだ。

真剣そうに話していた祖母の口元が突如緩むと、祖母は少女のように悪戯っぽく笑った。

「ゆり子のじいちゃんの話じゃない。わたしのじいちゃんだ」

祖母の祖父は、同じ紋別の漁師だったが、祖母の母というのはこの漁師だった男ではなく、日露戦争前の紋別にロシアから度々やって来ていた貿易商という、ロシア人との間にできた娘だったらしい。どういう経緯でその後、祖母の祖母が日本人である夫と結婚したのか、そこまで聞くことはできなかった。祖母も知っていたかどうかはわからない。ただ、明治末期に北海道という特殊な土地で、日本が帝国主義の狂気へと盲進していく中で、当時20歳になるやならずのその女性は確固たる思いで外国人の子を生み、私たちの中にロシア人の血を残したのだった。祖母の母は、生前写真を撮ったことがないという。漁師町でもその頃の写真が残っていることを、私は友人の家を訪ねて知っていた。私たちよりも数段コーカソイドの血を色濃く受け継いだ彼女が、当時辺境の紋別で周囲にどのように扱われたものか。それが内地とは違う環境であったとしても、私たちでも容易に想像することはできる。

「お母さんやおばちゃんも知っているの?」

「母さんには関係ないっしょ。私がゆり子に話そうと思っただけ」

そういえば、母は時々、赤ん坊だった私に蒙古斑がでなかったことを不思議がる話をしていた。私にも祖母の本当の祖父たるロシア人の血が流れているということか。祖母は自分と顔立ちの似る私を、私の兄弟や従兄弟たちの中でもとりわけ可愛がってくれた。

祖母は毎年流氷の季節になると一番に海を見に行ったのだと言う。

「あの流氷が来る先に、私の本当のじいちゃんが生きていたんだ」

どうしてその人は彼女をロシアに連れて行かなかったのだろう。彼はここで娘が生まれたことを知らないままだったのだろうか。その娘から私たち家族が増え続けたことも知らないまま、いつかロシアの地で生の終焉の日を迎えたのか。

「来年は一緒に流氷を見に行くね」

私は祖母に言った。祖母はそれには返事をしなかった。

「流氷は接岸してから見に行っても意味はないんだよ。接岸してからの流氷原は、ただの雪原の景色と同じだろう?流氷は近づくところか遠ざかるところを見なければ、私にとっては意味がない」

「うん…」

「人間も同じことさ。どこかに、何かにとどまっていたら、意味はない」

祖母は続けた。

「私はとどまっていたかねぇ」

気の強い祖母の人生は、終始この紋別の土地の中にあった。その中で、気性の激しい祖母の生は、いつでもどこかに向かって手を延ばしては、もがきながら進み続けようとした氷のようだったのか。




枝幸に流氷が接岸すれば、数日経たずにこの海岸にも氷たちが到着するだろう。近づいてくる流氷をとらえる最後のチャンスだ。

林を抜けて海を見渡せる丘の上に着いた時、私は息を呑んだ。巨大な氷の群れが、押し寄せてくる。ゆっくりとゆっくりと進む氷の動いている様が見える訳ではない。氷は止まっているように見える。ただ、抗えない程の力を持った大きな群れが、岸のこちらを圧倒しているのだ。

辺りは静寂に包まれていた。時々、何かが軋むような音が遠く遠く耳の奥で聞こえる。氷の進む音か。あるいは誰かが人生の底で、いつも進み続けていたいと願う心がその苦しみにうめきをあげているのか。

流氷の来る先に思いは逡巡する。灰色の海に漂う巨大な氷たちを包む静寂をとらえようとした時、私は静寂が無音を意味するのではないことを知った。静寂こそが音を包み込んでいるのだ。静寂という薄い膜の奥に覆われた音は、静寂の先にある世界を求めた時に、初めて聞こえてくるのかも知れない。そこには静寂という音の世界が存在するのだろうと思った。

零下10度を下回る空気が肌を刺す。林は遠く背後になり、雪を落とす木など周りにはないのに、空気がきらきらと視界の限りに輝き続けている。気中を舞うダイアモンドもまた、流氷の接岸を待つこの私たちを刺す硬質な輝きを放っていた。これが紋別の冬だった。そして、この景色こそが、祖母から私への遺言だった。
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by raphie_y | 2005-01-24 23:32 | A Tale to you
2005年 01月 07日
モノクロームの思い出から
新春!男女対抗TBボケ駅伝への参加作品(復路第28走者)でした。

「モノクロームの思い出から」
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by raphie_y | 2005-01-07 07:44 | A Tale to you
2004年 11月 23日
雨には負けず 女で候
山の方では雪が降り始めたらしいけれど、この辺りはまだそれほど冷たくもならない雨。部屋の中からアパートの庭が雨に濡れるのを見たり、さらさらとサ行が重なるような静かな雨音を聞くのはとても好きでも、外に出るには少し装備が必要だ。

本家のページで触れたことがあるが、こんな日にはエナメルのパンプスにタイトスカートと決めている。普段のパンツスタイルと革靴では、後のことを考えると心もとなくて、いつものペースで歩けない。だから、雨に傷むことのないエナメルと、後の手入れをする必要がない、膝丈までのスカート。これにお気に入りのコートをかければ、いつも通りに元気に歩くことができる。

本人としてはいつも通りに元気に歩くためにこの装備なのだが、普段パンツスタイルでばかりいると、余程珍しく見えるらしく、何か特別なことでもあるのか、と聞かれてしまうことが多い。自分でも町で店のウィンドウなどに写る自分の姿が目に入ると、見慣れなくて一瞬視線が止まってしまうことがある。異様だからだなんて、言いたくはないけれど。

こういうスタイルで歩くと、普段かなり中性化が進んでいる自分に、ふとまだ「女性」があることを感じるし、そのことを時には嬉しくも思う。これは自分にとってはとても大きな変化で、少なくとも20代の頃まで、私は自分が女と思われるのが不愉快でしようがなかった。それは当時の社会が女性に期待していた役割のようなものに対する反発だったかも知れないし、それほど大袈裟なことではないにしても、同じ条件にある男性にできて自分にできないことがあるということを認めたくない気持ちが強かったからではないかとも思う。

フェミニストだとかそういうたいそうな次元の話ではなく、ただ、自分の可能性が性別を条件に閉ざされて行くことに、我慢がならないような、要するに若かったということなのかも知れない。工具を持たされて、多少の擦り傷を作りながら物を作ったり直したりする作業は何より楽しかったし、少し無理をしても重く大きい荷物を持つことも何ともなかった。車を運転するのも好きだったし、それこそ同じ年代の男性たちが好きそうなことは一通りやってみたかった。その頃の自分にとっての一番のお洒落は、ありきたりのリーバイスを誰より格好よく履きこなすことだったのだから、当時の「女性らしさ」などという定義には微塵もあたらなかった。雑誌で「女子大生」がもてはやされ、素人でもファッションリーダーになって雑誌モデルになるような世界は、まったくもって無縁だった。

アメリカに来てから、少し太って、かなり痩せた。当初の言葉の問題から始まって、今に至るまで毎日は波瀾万丈の連続だ。波瀾万丈のない人生にはとっくに見放されている気もするけれど、それでも、それなりに自分のペースというのも掴めてきて、そんな人生サーフィンを楽しんでいるような気もしている。

体重ががっくり落ちた4年前、それまで着ていた洋服が全く体に合わなくなって、特にスカートやパンツを全部一新せざるを得なくなった。体重が落ちた理由というのもそれなりにあって、その頃、ともかくそれ以前の自分に戻るのが本当にいやだったのだと思う。体重が変わって外見も会う人ごとに指摘されるほど変わって、私はその変わったままの自分でいたいとも思い始めていた。

それまで違和感のあったスカートが、随分似合うようになった気がして驚いた。着るもので気分まで変わるというのは、いかにもお気軽な気もするが、スカートを着る日には、パンツスタイルの日以上に背筋が伸びるような気がする。「女性」として見られるなら、姿勢のいい、きりりとした女性に見られたいと思うようになっていた。

「女性らしさ」が何なのかは、未だによくわからない。心遣いとか細やかさとか言うかも知れない。でも、男らしい男性が、そういう心配りを見せるときもあるし、そういう場面に立ち会う度に、とても清々しい気分になる。女らしい女性が、度肝を抜くような大胆な決断をしてみせても、それを驚く必要も感じない。そもそも、男性らしさとか女性らしさがどこにあったのかも、今となってはもうわからない。それは、女性として見られることをあれほど嫌ったあの20代の頃と、現在とで、性に期待される役割自体が変わってしまったせいもあるのかも知れない。あるいは私が東京育ちで、そういう縛りからいち早く逃れる地域にいたせいもあるかも知れないし、更には、性差を超えることに社会自体が敏感になっているアメリカの都市部に8年住んでいることも関係ないとは言えないだろう。そして、もう一つはおそらく、自分が妻になり母になっていないこと。これはもしかしたら一番大きな理由なのかも知れない。

アメリカのリベラルな都市にいれば、周りに少なからぬフェミニストもいる。そんな人たちには怒られるのかも知れないけれど、最近の私は女に生まれたことを嬉しいと思えるようになっている。日本では標準身長でも、こちらにいれば小さめで、職場で高いところにある重い荷物を出し入れすることもままならない。そういう時には無理をしないことにもしている。自分が無理をしては壊してしまうかもしれない大切な書類もある。そういうところで無理をするのはきっぱりやめたのだ。それよりも自分が少しでもできることをもっと伸ばす方に頑張る。少し頑張ることで、自分が荷物を運んでもらうように、自分が誰かを助けられるなら、その方がずっといい。

そして雨の日にはスカートとエナメルのスクエアトゥのパンプスで、背筋を伸ばして誰よりも元気に歩く。天気になんか負けない。人との体格差や能力差は受け入れるけれど、自分には負けない。そんな気持ちで、「女」である自分に雨の日は元気をもらう。雨になんか負けない。私は女で、私は私。
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by raphie_y | 2004-11-23 13:50 | A Tale to you
2004年 11月 18日
スクールバス
この数日僕は、夜明け前に家を出て会社に向かっている。妻を起こさないように、そっとベッドから出て、身支度を整えて、静かにキッチンで朝食をとって、そして音をたてないように玄関の扉を閉める。彼女も少しは気にかけて、一緒に起きて朝食の準備をしようとも言ってくれたけれど、コーヒーは一人でもいれられるし、シリアルにミルクをかければ、それで十分なので、僕のためにわざわざ起きなくていい、と言った。

最近あまり妻とも話をしていない。彼女も仕事で責任のあるポジションにいて、帰宅も遅いし、家に帰っても持ち帰った仕事の続きで、すぐにコンピュータに向かうことが多い。僕は僕で好きな音楽を聞きながら、好きな本を読んでいたりで、彼女と話をしなくても、それほど不自然には思わなくなっていた。時々僕たちはどうして夫婦なのだろうという疑問が頭をよぎることもあったけれど、そんなことは誰もがどこかで感じることなのかも知れないと、それ以上を突き詰めて考えることもしなくなった。そんな訳で、夏前に引っ越した僕たちの郊外の新しい家も、いつもとても静かだった。

車のキーを回し、イグニションの音を聞きながら、僕はこの数日のことを考えていた。

5日ほど前、懐かしいクラスメートが電話をよこした。それは、僕たちが小学校3年生の時に、僕が住んでいたエリアを担当していたスクールバスの運転手のジェドが死んだという知らせだった。故郷を遠く離れていた僕には、2週間前に亡くなった彼の葬式のニュースも届かず、結局、ジェドのために何をすることもできなかった。

自分でも驚いたのはその翌朝のことだ。会社に向かう車の中で、朝も7時を過ぎれば当たり前に走っているスクールバスを目にする度に、とめどなく涙があふれてきて、運転することもままならなくなってしまった。なぜそんなに涙が出るのかわからず、しかたなく路肩に車を寄せ、僕は涙が流れるにまかせていた。黄色いスクールバスを見る度に、胸が締め付けられた。自分の父親が死んだときには一滴の涙もこぼれなかったのに、皮肉で不思議で仕方がなかった。僕は、しばらくスクールバスが走る時間に運転することはできないと思った。でも大きなプロジェクトで夢中だった僕は、その理由を深く考えることを敢えてせず、ただスクールバスが走る時間を避けて通勤することだけを選んで、この数日を過ごしてきた。その朝、少しかすれた音をたてたイグニションが、ジェドがスタートさせたスクールバスのエンジンの音を唐突に僕に思い出させたのだった。

ジェドは太った黒人のドライバーで、9歳の僕は彼を父親のように慕っていた。当時、僕の家は学校から一番遠い郊外にあって、朝スクールバスに乗り込むのは一番最初で、そして帰りに降りるのは一番最後だった。どちらかといえば裕福な家庭で、家はとても静かな緑の多い地域にあったけれど、近所に遊びに行ける友人もいなかったし、僕自身、余り積極的に友達と打ち解けることができる方でもなく、学校からの往復のバスの中でも、僕は賑やかな子供たちの隅の方で、いつも静かに座って外ばかり眺めていた。

ある夕、他の生徒がみんなバスを降りた後、ジェドはバスを近所の公園の駐車場に入れて僕を運転席の横の席に呼んで、そして少しずつ話を始めた。その時、彼と初めてきちんと自己紹介を交わしたのだけれど、僕はうつむいてばかりで、彼が一人で話していたような気がする。朝食は誰と一緒に食べるのとか、帰った後はどんな風に過ごすのとか、ジェドはいろんな質問をしたけれど、最初の頃はうまくジェドに答えることもできなかった。僕たちはただ、ジェドが運転席に置いていた少しぬるくなったコークを分け合って飲んで、10分くらいの時間を過ごした。そしてジェドは僕の迎えが来る通りの角で、いつも通り僕を下ろしてくれた。

迎えに来るのは普通は母親なのだろうけれど、僕には当時シッターがいて、その人が毎日迎えに出てくれた。母親は仕事を持っていて、夕食も僕はシッターの女性と二人で食べることが多かった。最初にジェドと話した日、ジェドはシッターの女性に何やら遅くなった言い訳をしていたけれど、そのうちその10分は恒例になって、彼女もその時間に合わせて迎えに来るようになっていった。

学校ではほとんど誰とも話さなかったけれど、僕はジェドと過ごすその10分間がとても好きになった。ジェドは前の日に聞いたラジオの話とか、天気予報の聞き方とか、いろんなことを教えてくれた。他愛のないことばかりだったけれど、僕はそういう話を余り家庭でしなかったから、ジェドと話すのが楽しみで仕方なかった。ハンカチで手品を見せてくれたこともあったし、カードでゲームを2回くらいやったこともあった。スクールバスと言ってもジェドが体を横にしなければ通れない位のサイズで、決して大きな空間ではなかったけれど、当時の僕にとっては十分な遊び場だった。

ある日ジェドは、自分の家族の話をしてくれた。僕が自分の家族の話をするのと交換条件だった。僕の家族の話をジェドが聞きたいと言うので、僕がジェドにも自分の話も聞かせて欲しいと頼んだ。僕の両親は働いていて帰りが遅いこと、兄弟がいないこと、スクールバスが到着する時に迎えにきてくれるシッターの女性と夕食をとって、宿題をしてテレビを見て、両親が帰ってくると「おやすみ」と言って自分の部屋に入ること。そんなことを僕は話したと思う。

ジェドはその話を黙って聞いて、そして交換条件だった自分の話を始めた。

ジェドには僕と同じ位の年の男の子がいたこと。その子と奥さんを何よりも愛していたこと。そして、その最愛の奥さんと子供が交通事故で亡くなったこと。その交通事故が起きたとき、ハンドルを握っていたのがジェドだったこと。もう二度と車には乗りたくなかったけれど、独りぼっちでも生活するために運転手の仕事を選んだこと。

どうしてそんな話をあの時の僕にしてくれたのだろう。感受性は強かったとは思うけれど、僕はまだ9歳の子供で、どう答えていいかがわからなかった。だから話を聞き終わると同時に僕はジェドの膝の上に乗って、彼のことを抱きしめたんだ。僕は、それまで自分から誰かをそんな風に抱きしめたことはなかった。少し涙がこぼれてきて、ぼくはジェドのセーターでその涙を拭きながら、いつまでもジェドのそばにそんな風にしていたいと思っていた。ジェドも何も言わずに僕のことを抱きしめてくれた。そんなに暖かくて優しくて大きな腕を僕はそれまで知らなくて、言葉ではうまく説明できなかったけれど、その時間を何よりかけがえのないものだと感じていたと思う。体格も肌の色も暮らしぶりも違ったけれど、その時、ジェドは確かに僕のもう一人の父親だった。

翌日からはまた他愛のないお喋りで、ジェドと僕はおよそ2年間そんな風な10分間を毎日過ごし、2年後の新学期、ジェドの担当区域が変わってからはほとんど会うこともなくなった。一度だけ、僕が運転免許をとって初めての学期に、遅刻しそうになってハイスクールに車で向かったある朝、ジェドが運転するスクールバスとすれ違った(アメリカでは小学校より高校の方が始業時間が早い地域が多い)。僕は懐かしくてしようがなかったけれど、こちらを見ていたジェドは、僕と気づいたのかどうかもよくわからなかった。ハイスクールに入る頃、急に背も伸びたし、きっと顔つきも変わっていたんじゃないかと思う。

でも、本当は気づいていたかも知れないな…。

あれから20年もの時間が過ぎて、僕はふとそんな風に思った。大切な誰かとかけがえのない時間を過ごす喜びを教えてくれた彼は、きっとコークを毎日分け合って飲んだあの頃と変わらなかっただろう。ハイスクールに進んで、体も大きくなって、少し背伸びで大人の仲間入りをした気になっていた僕の中に、9歳の僕を見つけていたに違いない。

僕は、もう一度車のキーを回して、エンジンを止めた。

家に戻って、今日は彼女が起きるのを待とうと思う。余り色々なものは作れないけれど、トーストと卵を焼いておこう。まだ外は暗いし、時間は十分にある。彼女が起きてきたら「おはよう」と声をかけて抱きしめるんだ。家を出る前に、必ずキスをしよう。

家の前を最初のスクールバスが通り過ぎたら、彼女と一緒に一日を始めよう。

僕は玄関の扉を静かに開いた。
扉を開くと、ガレージが見える窓の横に、妻が立っていた。
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by raphie_y | 2004-11-18 05:36 | A Tale to you


    


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