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2004年 11月 23日
雨には負けず 女で候
山の方では雪が降り始めたらしいけれど、この辺りはまだそれほど冷たくもならない雨。部屋の中からアパートの庭が雨に濡れるのを見たり、さらさらとサ行が重なるような静かな雨音を聞くのはとても好きでも、外に出るには少し装備が必要だ。

本家のページで触れたことがあるが、こんな日にはエナメルのパンプスにタイトスカートと決めている。普段のパンツスタイルと革靴では、後のことを考えると心もとなくて、いつものペースで歩けない。だから、雨に傷むことのないエナメルと、後の手入れをする必要がない、膝丈までのスカート。これにお気に入りのコートをかければ、いつも通りに元気に歩くことができる。

本人としてはいつも通りに元気に歩くためにこの装備なのだが、普段パンツスタイルでばかりいると、余程珍しく見えるらしく、何か特別なことでもあるのか、と聞かれてしまうことが多い。自分でも町で店のウィンドウなどに写る自分の姿が目に入ると、見慣れなくて一瞬視線が止まってしまうことがある。異様だからだなんて、言いたくはないけれど。

こういうスタイルで歩くと、普段かなり中性化が進んでいる自分に、ふとまだ「女性」があることを感じるし、そのことを時には嬉しくも思う。これは自分にとってはとても大きな変化で、少なくとも20代の頃まで、私は自分が女と思われるのが不愉快でしようがなかった。それは当時の社会が女性に期待していた役割のようなものに対する反発だったかも知れないし、それほど大袈裟なことではないにしても、同じ条件にある男性にできて自分にできないことがあるということを認めたくない気持ちが強かったからではないかとも思う。

フェミニストだとかそういうたいそうな次元の話ではなく、ただ、自分の可能性が性別を条件に閉ざされて行くことに、我慢がならないような、要するに若かったということなのかも知れない。工具を持たされて、多少の擦り傷を作りながら物を作ったり直したりする作業は何より楽しかったし、少し無理をしても重く大きい荷物を持つことも何ともなかった。車を運転するのも好きだったし、それこそ同じ年代の男性たちが好きそうなことは一通りやってみたかった。その頃の自分にとっての一番のお洒落は、ありきたりのリーバイスを誰より格好よく履きこなすことだったのだから、当時の「女性らしさ」などという定義には微塵もあたらなかった。雑誌で「女子大生」がもてはやされ、素人でもファッションリーダーになって雑誌モデルになるような世界は、まったくもって無縁だった。

アメリカに来てから、少し太って、かなり痩せた。当初の言葉の問題から始まって、今に至るまで毎日は波瀾万丈の連続だ。波瀾万丈のない人生にはとっくに見放されている気もするけれど、それでも、それなりに自分のペースというのも掴めてきて、そんな人生サーフィンを楽しんでいるような気もしている。

体重ががっくり落ちた4年前、それまで着ていた洋服が全く体に合わなくなって、特にスカートやパンツを全部一新せざるを得なくなった。体重が落ちた理由というのもそれなりにあって、その頃、ともかくそれ以前の自分に戻るのが本当にいやだったのだと思う。体重が変わって外見も会う人ごとに指摘されるほど変わって、私はその変わったままの自分でいたいとも思い始めていた。

それまで違和感のあったスカートが、随分似合うようになった気がして驚いた。着るもので気分まで変わるというのは、いかにもお気軽な気もするが、スカートを着る日には、パンツスタイルの日以上に背筋が伸びるような気がする。「女性」として見られるなら、姿勢のいい、きりりとした女性に見られたいと思うようになっていた。

「女性らしさ」が何なのかは、未だによくわからない。心遣いとか細やかさとか言うかも知れない。でも、男らしい男性が、そういう心配りを見せるときもあるし、そういう場面に立ち会う度に、とても清々しい気分になる。女らしい女性が、度肝を抜くような大胆な決断をしてみせても、それを驚く必要も感じない。そもそも、男性らしさとか女性らしさがどこにあったのかも、今となってはもうわからない。それは、女性として見られることをあれほど嫌ったあの20代の頃と、現在とで、性に期待される役割自体が変わってしまったせいもあるのかも知れない。あるいは私が東京育ちで、そういう縛りからいち早く逃れる地域にいたせいもあるかも知れないし、更には、性差を超えることに社会自体が敏感になっているアメリカの都市部に8年住んでいることも関係ないとは言えないだろう。そして、もう一つはおそらく、自分が妻になり母になっていないこと。これはもしかしたら一番大きな理由なのかも知れない。

アメリカのリベラルな都市にいれば、周りに少なからぬフェミニストもいる。そんな人たちには怒られるのかも知れないけれど、最近の私は女に生まれたことを嬉しいと思えるようになっている。日本では標準身長でも、こちらにいれば小さめで、職場で高いところにある重い荷物を出し入れすることもままならない。そういう時には無理をしないことにもしている。自分が無理をしては壊してしまうかもしれない大切な書類もある。そういうところで無理をするのはきっぱりやめたのだ。それよりも自分が少しでもできることをもっと伸ばす方に頑張る。少し頑張ることで、自分が荷物を運んでもらうように、自分が誰かを助けられるなら、その方がずっといい。

そして雨の日にはスカートとエナメルのスクエアトゥのパンプスで、背筋を伸ばして誰よりも元気に歩く。天気になんか負けない。人との体格差や能力差は受け入れるけれど、自分には負けない。そんな気持ちで、「女」である自分に雨の日は元気をもらう。雨になんか負けない。私は女で、私は私。

by raphie_y | 2004-11-23 13:50 | A Tale to you


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